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創業者と亀山デザインのはじまり

創業者・亀山 浩について

株式会社亀山デザインの社名は、デザイナーである創業者・亀山浩の名前が由来です。

1930年(昭和5年)、大阪市・天王寺区で生まれた亀山浩は幼い頃から絵を描くのが得意でした。大阪市立工芸高校の図案科を卒業後、阪急百貨店・宣伝部に入社し、阪急・東宝グループ、宝塚歌劇団などのポスターや雑誌のデザイン・レイアウトを主に担当しました。日本宣伝美術協会にも入会し、三菱鉛筆ポスターでは日宣美会員賞も受賞するなど公募展での入賞、入選も多々ありました。

1959年(昭和34年)、取引先の紹介で高校の先輩にあたる松下電器・営業本部(現パナソニック)在籍の担当者と知り合い、高度経済成長期で宣伝販促物が急激に増えるなか、実力あるデザイナーを探していた松下電器と取引契約を交わしました。当初は阪急の仕事との二足の草鞋で自宅を事務所に仕事をこなしていましたが、ますます受注量が増え、このままでは迷惑をかけると判断し阪急宣伝部を退職。1960年(昭和35年)に大阪市内でスタッフ2名と共に個人事務所を開業しました。

そして、2年後の1962年(昭和37年)、現在の事務所にも近い大阪市北区老松町で法人「株式会社亀山デザイン」を設立。ライターやデザイナーを増強し、松下電器の家電・設備関係の多種多様な宣伝販促物や情報誌等々の企画制作に協力させていただくことになり、その商いのカタチは時代と共に大きく変化しつつもいまも脈々と続いています。

若かりし頃の創業者・亀山浩

創業者は、自宅の押し入れを
作業机に改造

阪急百貨店時代の
二科展募集作品(1954年)

名瀑を求めて描く、晩年の創業者

創業者・亀山浩は、約30年にわたって経営者、デザイナーとして社業に携わる傍ら、絵画を趣味として生涯を送りました。初期の頃は岬や海辺を好んで描いていましたが、経営の一線から退いた晩年は心身の鍛錬、健康維持も兼ね、時間を見つけては深山幽谷に分け入り、5年有余にわたって全国の名瀑(滝)を巡って四季折々の表情をキャンバスに切り取るようになりました。

でも、なぜ名瀑を求めたのか?創業者が遺した滝の絵の数々を目にすると、名もなき滝、名高い滝、滝口から滝壺まで一気に落下する滝、渓流を泡立つように流れる滝、途中でいつくかの流れに分かれて落下する滝、細く静かに流れ落ちる滝…など、個性豊かで様々な表情を見せる姿に、自身のこれまで歩んできた人生を重ね合わせていたのか?滝の流れがもたらす癒しを求めていたのか?それとも葛飾北斎の名画「諸国滝廻り」に触発されたのか?いまとなっては知る術もありませんが、デザイナーとしての、絵描きとしての鋭い観察眼に裏付けられた描写力、デザイン力で留まることのない滝の流れ、飛沫、そして水の流れる音までをキャンバスに写し取っている姿が想像できます。

亀山浩は、退任から約一年後の1992年(平成4年)5月、病のために生涯を閉じましたが、その遺徳を偲び、一周忌の際に上梓した名瀑を収めた亀山浩 画集「名瀑逍遥」を当ホームページで動画形式にて掲載いたしました。ぜひ、お時間ある時にご覧ください。

晩年の創業者

冊子として上梓した
画集「名瀑逍遥」

動画で見る
創業者・亀山 浩の画集
「名瀑逍遥」

[再生時間 5分57秒]